「オレとカレー」
カレーは飲みものだ、という人がいます。
その是非はともかく、確かにカレーってのんびりもぐもぐよーく咀嚼して食べるイメージではないですよね。がつがつはふはふかっこむ姿がよく似合う。戦う男たちの昼ごはん。ぱっと喰ってエネルギー満タン!しかもスパイスによる脳みそ活性効果(ある、ような気がする)により、午後の仕事もばっちりだぜ。さあ、汗かいていこう!元気とモチベーションをくれる心強い一皿。
家カレーにせよ外カレーにせよ、カレーは「さあ食うぞ!」という気持ちに最もさせてくれるメニューの筆頭といえるでしょう。キレンジャーの登場で我が国におけるその地位は確固たるものにあいなりました。古い。いいじゃないですか、食いしん坊の大好物ナンバーワンの座を足かけ2世紀の長きにわたってほしいままに。かっけーじゃないすか、カレー。
味もさることながら、香りの、匂いの、圧倒的なパンチ力ときたら、他の追随を許さないものがあります。みんなでファミレス行って、めいめいいろんなもの注文しても、運ばれた時点でカレーの優勝。パスタだろうがとんかつだろうが何喰っていようと、隣から漂うカレーの香りにカラダは反応してしまいます。「あっちのほうが、いーなー。」と。
牛丼屋さんでカレーをメニューに入れているところとか普通にありますけど、なんと大胆なことをと人ごとながら心配してしまいます。牛丼の名のもとに看板出してんのに、一杯のカレーが配膳されただけで店内はカレーの香りの支配下に。つーか厨房にフタを開けたカレー寸胴置いてる時点で、香り的には、もうそこはカレー屋。大丈夫か、牛丼。心配です。
そば屋のカレーというのも考えさせられます。カレーうどんについては後述いたしますので、ここではカレーと蕎麦の問題を。
お蕎麦って、香り、大事。せいろからすくい上げてすすって喉を通る道すがら、鼻腔をなでるそよ風のような蕎麦の香り。古き良き日本の田園風景が脳裏をよぎります。食べ終わった後の、そば湯のやさしさよ。そば湯には、しらない間に俺たちが失っていた何かしらの大事な栄養素がある、感じがする。でないと、そば湯が胃に落ち着いた瞬間の、あの体の喜びようを説明できない。誰か、学者先生、科学的に解明して。ガッテンをよろしく。
その、日本古来の微妙絶妙なわびさびの世界にガツンと現れる天竺産のカレーなるスパイスの嵐。黒船来航、否、まさに仏教伝来。八百万の神々はブッダの出現にどう対応するのか。や、うまいですよ、カレーそば。しかしながら、蕎麦の良さとして外しがたい香りの力が、いとをかしの精神が、ロックなカレーのパンチにやられちまっているのが、どうにももったいない。ブラックバスやブルーギルを放流するなら、どうか姫マスやメダカやヘラブナのいない池かダムにしてくれないか。そんな気分にさせられてしまうのです。
その点、米やうどんはタフ。特に白米の「受け」の能力は地球一。どんな技でも受けて受けて最終的にエンターテイメントに仕立て上げちまう超一流のプロレスラー。はたしてキング・コメによって、カレーライスは国民食の地位に上り詰めたのです。そう、神様と仏様がお皿の上でがっちり握手。我々はその恩恵を五臓六腑で受けるのみ。
さあ、夏は汗かきかき、冬はふーふー、共にカレーを食らおうではありませんか!